ドリームのつぶやき ~利用者・スタッフの声~

(寄稿)通所一年雑感                  <30歳代男性>

 こんにちは。
 自分はB型作業所ドリームボールに通い始め、今月で約一年になろうとしている者です。
 ざっと個人的な経緯を述べますと、学生時代に身体を壊し、その後数年ほど療養という名の半ば引き篭もりのような生活を送っていました。それが昨年ふとした切欠で役所の窓口から福祉系NPOへと紹介して貰い、そこから更に作業所という選択肢を教わって何ヶ所かを見学した後、此処をと決めて通うようになり、現在に至ります。

 詳しい事業内容、作業はホームページ内にも載っているので割愛しますが、必ずしも全員がボールの修繕──じっとデスクワークをしている訳ではなく、先ずは朝に起き、昼間に活動して夜に寝るという生活のリズムを作る、ただそこにいて心身を休める、或いは色々な理由で「零れ落ちた」境遇の人達と話をしたり経験を補完し合ったり……。事業内容であるの所のボール修理(や隣接する公園・球場の管理)以外にもその人の状態・段階に応じた居方ができる場所です。そういった意味では、B型という区分もありますが、こと自由でのんびりとした性格の作業所だと言っていいかもしれませんね。

 自分自身何年も、おそらく一生の内で一番若く動き回れたであろう時期を病身の中で閉じ篭っていたこともあり、かつては何度も内心で自分を責め、何も貢献できない自分に負い目を感じてならなかったものです。
 ですが現在、サラリーマン的な一般企業ではないにせよ、お仕事をして給料を頂き、その中で払うべきものを多少なりとも自前で払える──何より自分の突き詰めた品が何処かの球児達の役に立っている、新鮮味も手伝い喜んで貰えていると嬉しいものです。個人的にはこういう職人仕事(?)の方が性に合っているのも大きいのかもしれませんが……。

 早いものでそろそろ一年、自分でも改めて驚くくらい、元気になれました。かつては心なきカネモウケなど……と鬱々としていたというのに、今は作業所と自宅を往復する生活がすっかり当たり前というか、そうでないと寧ろふいっと暇が余るくらいになってしまいました。

……尤も如何せん、慣れ親しんでしまって自身明るくなって、それが後から来られる利用者候補さん達に悪く働いてしまわないか? というのが目下の懸念材料ではあります。
 その、眩しいんですよね。自分もたっぷりと経験があるので分かるのですが、長い間自分は鬱々とした中──いわば闇の中にいるという自覚(自負)があり、尚且つ何をおいても『自分はできない』のだという呪文が自らと限りなくイコールに近い状態で癒着している。自信全般における不足と、辛うじて抱き締め続けた自己愛(プライド)。その両者のアンバランスを、明るく元気な、バイタリティを振り撒く他者は往々にして揺るがしてくる。すごくしんどくって、居た堪れなくなってしまう。

 それでもこの場所が──そういったものを何とか通り抜けてきた自分が、そんな眩しさとの戦いも含めて、貴方をゆっくりと解いて慣らしてあげられる所になればいいなぁと今は考えています。
 何でもいいのです。例えば一つでも趣味があれば、それを「できた」という小さな自信に積み重ねてみてください。作業所のボールを一個縫い切るだけでもいい。此処を生活リズムを整える踏み台にして、起きられたを「できた」の一つとして積み重ねてくれてもいい。そうやって暗がりの中にいる自分に日が差してきたなと思ったら、もう一つまた一つと自分にできることを見つけて、増やして、痛んだ心身を存分に癒してあげてください。そんなに言語の上でばかり焦らなくてもいいと思います。その焦燥と現実の自分が違ってしまうから苦しくなるのですし、実際問題焦った所で能率が上がる訳ではありません。
……何より、自分達は今の世の中が汲々として目指す“タフ”であり続けることに、大なり小なり疲れてしまった人間達だと思うのです。ならば、どうせ世の言う「普通」というものから零れ落ちてしまった以上、中々そこへそれ以上のレベルに戻ることは相当の努力や運、人脈を必要とするのなら、もっと別の生き方・在り方で進んでみませんか?
 確かにこの世の中、タフでなければ生きられません。だけどタフであり続ける為に、他人を傷付けて蹴落として当たり前とさえしがちな極端さにまで自身を無理くりに染め上げていく必然性はないと、今自分は思っています。優しさまで失っては、仮に世の「普通」に戻れても、また他の誰かが傷み病んで落ちていくかもしれない。他ならぬ自分自身がまた軋んでいってしまうかもしれない。
「落とされるような弱さが悪い」
もしかしたら、世の中とは所詮そんな所なのかもしれませんが……。

 それでも皆さんが、過去をじっくり清濁呑み込み、優しい道を進める事を切に願います。

 自分達は傷付いて、でも誰かもきっと傷付けて(迷惑を掛けてしまって)、期せずして立ち止まること・歩みを遅くすることができた人間なのではないでしょうか? ならばせめて、そのかつてを踏まえた上で、今度こそ自らの心が頷く自分を築きたくはありませんか?

 微力ながらそのお手伝いができればと思います。一歩踏み出す場所になればと思います。

 一介の利用者、古参気取りながら、今日もチクチクとボールを縫いつつ。
 ちょっとずつゆるゆるとでも貴方の周りのミクロな世界──もっとマクロな世界もが、やがては優しく穏やかなものとなっていきますように。
                                2016年 3月某日